ONEonONEヘアサロン suffcuts の bosscuts のブログ

長野県東御市にあるDO-S&ハナヘナ専門ぼっち&おしゃべり&おせっかいヘアサロン ・ 人生、恋愛、歴史、経済、宗教なんでもござれダメージヘアを語る隙間にアナタのその日のキモチさえケアしてしまうよと豪語してはばからない恥知らず似非心理マジシャン(自称)スタイリストbosscuts の販促ではないでも集客目的ではあるのかもしれない本気かよ、ってつまりごく個人的欲求の吐き捨て場へようこそ ・ No! Treatment! がモットーだからツヤツヤサラサラとか馬鹿なことは言いませんから

かしこまれません

知らないなら知ったほうがいいんだし、それは必要なことならってもちろんそういうことなんだけれども、何なら自分ばっかであれこれと試行錯誤するよりも手間掛けるよりも、すでに知ってる人結果だしてる人がいるのならその人に教わってしまったほうがそういう素直な態度を示したほうが早いのに決まってるじゃんか近道に決まってるじゃんか早く次の場所に向かえる進めるじゃんかって、そんなこと誰でもわかるわけですよ。

 

 

どんな界隈にもそんな景色はまったくありがちなことでもって。

 

 

 

そういうの、苦手なんですよ。

多分みんな。

 

つまり多分、そういうのわかりながらそれにしても頑張ってしまう頑張れてしまう人たち、っていうかそういう有り様に触れることが苦手なんだな、多分。

 

自分で何かするっていうのは思いのほか楽なことではなく、自分から脱線したくせにサラリーって呑気でいいよななんて失礼なこと今でもたまに思ってしまうんだし、でも何のことないです、少しでも窮屈な場面に触れるとすぐに思いついてしまうんですもの、”こういうのムリ” とかって明け透けにダメな感じの自分とか。

 

 

動機は様々なんでしょうけれどもセミナー的な、そういうの誘われたりすることはこういった商売をしていると要するに少なくないんですけれども、時々乗ってみたりそうでもなかったりまあ、その時次第みたいなことばっかでもって。

 

いつも思うことは共通なことでもって、”言われたこと教わったことちゃんとやったなら、それなりに何かあるんだろな” ってことなのだけれども。

 

やったことないです。

 

それって一番ダメって、どこでも言うわけです当たり前。

わかってるっつうの。

 

やりたくないからやらない、っていう全くの正直さ自分らしさばっかでもって拒否しまくることばっかの人生なんですけれども、そんな感じを ”逃れ癖” とか呼んでしまったものなら例えばわたしの人生なんかわかってるんだけれどもそれにしても、”まったくのクソ” になってしまうワケで。

 

ものすごく反感を買う言い方をするなら、”やりたくないことはやらない” っていう図々しさを生意気さを馬鹿っぽさをそこそこ実践してきた結果が今日の自分っていう立ち居ちなんだとさっぱり受け止めているんであって、今日も商売的には大した期待感なんてあったもんじゃないぜ参っちゃうぜ、だからって今日は新しい機材が届く日だから個人的趣味って目線においては期待感モリモリの今日だぜ、ってことにもなるわけでつまりそれってどうしょうもなさとかそんなあるがままってことなわけでもって、そんなショボさすら通用しない貫けない威力なら端からそんなもんこの世にあったもんかよ寝ぼけてんのか気合い入れろ根性ナシがよ、っていい加減だけれども自分励ますことばっかは得意なつもりでいるわけでもって。

 

 

”はい、かしこまりましたっ”

って、みんなで唱和するとある集まりがありました。

っていうかそんなもん、ものすっごくありがちなわけなんですけれども。

みんな感じイイ人ばっか。にこやかな人ばっか。

とてもキャッチーなデザインの距離感ハンパなく近い感じの名刺交換から始まってわたしはこんな何者ですなんて自己紹介からのあなたはどんな感じなのどんな風に頑張ってんの何ならこんな感じで一緒に分かち合っていこうよ肩組んでいこうよ、ってそんなスタート地点っていう積極性。

 

学びの気配。

一様に。

 

すっごい良くしてもらって学ばせてもらった気がして気分もけっこうアガったりとかしたのだけれども、所詮ぶっちぎっちゃうんだな、わたしなんてば。

これずっとやってくのかよ。

って思ったら、所詮、すぅーって冷めちゃう覚めちゃう醒めちゃう何か思いついちゃったらもうアウト。

 

で、今日も期待感薄っ、とかいってるなんてアホなんじゃないのかと。

 

 

基本、たたき上げみたいなばっかできてしまったものですから。

何も知らないで床屋さんで働き出してツマンナイなって生意気なこと思いついてしまって、そこから地獄の始まりだったのかしら。

何にも知らないで美容室で働き出して見様見真似で身につけてきた技術は失敗と困惑の連続だったし恥じかいてばっかだったし、それにしても身につけたくて仕方ないモノは目の前にあってくれたから案外あきらめることとかは思いもつかずに自分なりっていう甘さとか粘り強さとか言ってあげてもいいかもしれないこととかも含めて要するに ”踏ん張ってきた” って自覚は確かにありながら、”身につけてきた” って覚えさえ持ちながら今日に至っているわけで、そこに ”期待感薄っ” なんてことを思いついてしまうことなんか所詮ただの愚痴でしかないことくらいわかっているわけだし全然本音なワケないことくらい知っているわけであって、所詮今日も昨日と同じく始められる今日であることに感謝を忘れないことくらいわかってるワケです。

自分サイズで過ごす今日っていう絶望は自分を計れる図れる明確なモノサシなんだって思えるワケです。

 

”はい、かしこまりました”

って目覚めたことナイです。

近道であるらしいのに、馬鹿なことです。

 

How to 本を読むより小説の方が好きなわたしは多分いろいろこじらせてるんだと、そんなことばっかはとおの昔に諦めているらしく後悔もないらしくつまり、”そんなこと言ってられないだろ” って先輩方に呆れられる鈍感体質らしく。

 

どうせ頑張らなければならないのに、何で窮屈な思いをしなければならないのか。

そういう子どもっぽさを、未だに抱えて生きてます。

”楽して上手くいくはずなんてない”

そんなこと知ってるっつの。

誰が楽に行きたい生きたいなんて言ったかよ。

楽して何か仕出かして何が嬉しいんだよアホかそんなことくらいわかってるっつのってこちとら言ってるのに。

どうせ頑張るのに、頑張った結果 ”ね、言うとおりにしといてよかったでしょ” なんて顔されたくない。

”先生のおかげでわたしたちは……”

わかってるっつの。

先生って呼びたい存在くらい自分で見つけるっつの。

感謝するっつの。

 

 

わたしんちで使ってるシャントリとか薬剤を発案開発された先生はものすっごいお金持ちです。

何かだまされてんじゃないのかと思うくらい。

もちろん、材料として決して安くもないんですけど。

でもわざわざそれを使いたがるのは所詮自分のせいで、その先生に薦められたわけでも誰かにそそのかされたわけでもなく自分でこれしかないと思っただけのことであって、だからってやっぱ大したものです、そういうものに辿り着くまでには色々迷ったり高い勉強代払ったりそれにしてもすっかりワケわかんなくなったりってつまり遠回りしてしまったんですけど、やっぱ勉強になったなあ、ってその価値とか実感が自分の中でハンパないわけです。

勉強嫌いなわたしが知りたくて知りたくて仕方ないその目的ばっかの仕組みを、つまり髪についてばっか知ることをその材料は使う者に要求するわけでそこに儲けだとかビジネスモデルだとかって胡散臭いことは一切なくて、ただひたすらにあるのはやるべきことをその仕組みから知って知りながら取り組める自覚とか実感ばかりなんであってつまり、わたしたちみたいな職業は所詮技術屋だから、結果を見ることが何より楽しい、嬉しいわけです。

ディーラーさんに薦められてただそういうものだと新しいものだからイイとかそんな感じばっかで言いなりに使っていたその仕組みも効果も知らずに知った風でいたそんなかんじとは全く違う、自分はこういう仕組みを心得た上でそれに相応しい薬剤を適切な効果を狙って施術してその結果こういう仕上がりになりました、っていう成功も今ひとつっていう仕上がりもそれぞれに理解出来る上で受け止められてさらに次につなげられる期待できる思い付けるそういう喜びさえ思いつけるっていう、そんな満たされ方。

 

そんなモノをただひたすらに一途に発案開発された先生が人並みはずれてお金持ちっていうのはまったく当然のはずで、満たされたカタチが例えばお金に見えてしまうのは結果しか欲しがらない種類の人たちの誤解でしかなくてつまり、こんな片田舎の一スタイリストさえその目的ばっかでこんなにも充実した気持ちを与えてもらえるっていうつまり、そんな満たし方を振舞った結果のご褒美ってことなんだって、その一途さこそが満たすわがままの壮絶な正しさこそに感謝せずには憧れずにはいられないわけです。

 

”はい、かしこましました”

 

対面でそんな一途さすら表現できないわたしにも、わたしなりの一途さをちゃんと表せる手段がないわけないと勝手に思ってます。

それを失敗とか成功とか、儲かるとか流行ってないとか考える目的は自分の中には案外なくて、自分で思いついた目的だとかそれを裏切らない正しさとかそれに適うものだとかそんなものばっかを信じまくって貫きたがってばっかでこそ過ごせる ”期待薄っ” っていう今日を期待感満々で歯を食い縛りながらそれにしても楽しく過ごしたい。

 

苦しさはつきもの。

 

例えばそういう正しさ当たり前さは確かなんだと思うのだけれど、近頃は例えばそんなモノを結果論でしかないっていう冷静さでもって裏切らない価値観を認めることもありなんだって、むしろそういう明るさたくましさでもって臨む挑む目線って完全に市民権を得てきているって個人的には思ってるわけです。

 

苦しさ求めて雪山に登る人はそんなにいないんじゃないかって、例えばそんな明るさ。

やりたいことをやろうとして、何で挑む苦しさこそを第一義に据える必要があるのか。

そういう疑いを毛嫌いしたがる排除したがる種類の取り組みにわたしはまったく組しないです。

それを間違いだと非難されてもまったく構わないのだし、勝手に生きるっていうことはそれを許容しても許されるだけのことを自ら担保する生き方なんだと思っているし、関わってくれる方々への感謝を忘れずに入ることは常から心掛けるのだしそれを邪魔する疑わせる種類の人を排除することさえ辞さないのだしそうして ”勝手” なる清潔とかを維持してこその関わりだとか充実を知りたがるのだし。

 

だから今日も、誰かのせいなんかじゃない自分の今日を頑張ろうと思ってます。