ONEonONEヘアサロン suffcuts の bosscuts のブログ

長野県東御市にあるDO-S&ハナヘナ専門ぼっち&おしゃべり&おせっかいヘアサロン ・ 人生、恋愛、歴史、経済、宗教なんでもござれダメージヘアを語る隙間にアナタのその日のキモチさえケアしてしまうよと豪語してはばからない恥知らず似非心理マジシャン(自称)スタイリストbosscuts の販促ではないでも集客目的ではあるのかもしれない本気かよ、ってつまりごく個人的欲求の吐き捨て場へようこそ ・ No! Treatment! がモットーだからツヤツヤサラサラとか馬鹿なことは言いませんから

怖くても変わってく

世の中は常に変わりゆくものらしいんですけど、変わりゆくものらしきそれが何なのか、その目的とか真意とか、はたまたそれに追随しようとする者こそが理解するのかただぶら下がるだけなのか、何せ変化するってことは、ときに常識だとかマナーだとか暗黙の了解だとか、あるいはここ数年何かと言われがちな ”空気を読む” だとかってそんな良識あるいは冷ややかさ鈍感さだとかってつまり、変わりたがらない、とさえ映りがちなのかもしれない面倒臭さ、平和な感じがべっとりと横たわっていることだって、”常に変わりゆくもの” に負けないくらいの事実だったりもするんじゃないのなんて個人的には思ったりもするワケですから、つまり、大衆論がキライです。

 

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基本面倒臭がりのわたしなんですけど、毎朝出勤して掃除して開店準備が出来たなら、まず最初にパソコンで開くのがこの方のページ。

苦手だったり口幅ったく感じられたりすることも多々あるんですけど、とりあえず現代的ではあるよね、なんて共感を覚えてしまうわけですからつい開いてしまう。

 

 

仕事っていうのは、人の為に何かの役に立つから仕事なんでしょ、と。

もっと平たく言ったなら、人がやりたがらないこと代わりにやるから価値になるんでしょ、お金になるんでしょ、なんてことを何となく肌で感じたのがここ数年のことっていう鈍感さ不真面目さ丸出しのわたし。

 

やりたくないこと気に食わないこと端から押し除けてはじき出して後ろ足で砂かけて勝手なことばっかして、もちろん苦労ばっかしながらたどり着いた今日とかお店とかってつまり、それって正しかったのかよ、なんてことは毎日といっても全然問題ないくらい考えてきた感じてきたことではあるワケです。

 

やりたくないことやるから仕事、お金。

 

実にわかり易い。ああ、そうだったのか、と。

同業のとある先輩とかに ”俺にだってやりたいやり方はあるけど、その前にやらなきゃならないことがあるから、いまはガマンしてコレをやってる” みたいなことを半ばディスりも含めながら口すっぱく窘められたことがあるんです。

 

それは超納得出来る理屈でしたし気持ちでしたし判断だと、感心させられたワケです。

”だから、お前もそうしろ” と。

 

やりもしないで否定することは、個人的にあまりいい感じがしないタチなものですから、やってみました。

結構な時間とお金と労力と気持ちをすり減らしながら。ええ、すり減らしながら。

 

そんなご縁で行き会った方々は、漏れなく皆さんやる気に溢れた素敵な方々ばっかでした。

そっか、わたしも頑張らねば、なんて。

そういうきっかけってことだったと思うんです。

 

 

ですが。

残念ながらわたし、単純にその方々が提唱される技術的なアプローチとか薬剤理論、それに伴う営業ノウハウとか店販アプローチとか、ほとんど全部好きじゃない感じのことばっかだったんですね。

でも、すごく商売的だったし、目的こそに忠実な考え方ではあったと思うんです。

 

 

たったの三ヶ月でやめちゃいましたけど。

 

 

世間の人々が自分ではやりたがらないことって、面倒だったり難しかったりノウハウや設備が必要だったり容易い規模や流通で適うものではなかったりすることを、労働契約っていう仕組みでもって雇用関係の双方の関係性でもって実現していく仕組みとか価値とかって例えばそんな感じなんでしょうから、例えば嘘やごまかしばっかとか所詮儲けたいだけとか何しようが売ったモン勝ちとかってゲスいことばっかなんて決め付けるつもりなんてこれっぽっちもないです。

 

 

ただ、そんな機会のうちにわたしみたいのがいよいよ思ったことは、所詮納得いかないことなんか出来やしないっつの。ってそんなことばっか。だったワケです。

簡単に言ったなら、”アホか、やってられっか” とか。そんな感じ。

所詮最低。

でも、やっぱろくなことなかったって思っちまう。

 

 

こんなブログとかHPとか、鬱陶しくて本当は全然やりたくないタチですし、理想は店の看板とかも取っ払って汚ったないよくわかんないぼろビルの二階とか、 知らない人には知られないまんまとか、それでも食っていける商売、みたいのこそやりたい派。

つまり怠け者。見栄っ張り。

 

 

でもですよ。

勝手に商売させてもらって早十年。

納得いこうがいくまいが、そんな機会やら出会いの中で自分なりにも思わされた考えさせられたことはですね、”所詮好きなことやらせてもらってんだ、やりたい中でもやりたくないことの一つや二つ、やってみても悪くないんじゃないの?” なんてそんな感じのこと。

一歩前進かよと。今頃な。

 

で、やってみた。

 

 

……つまらん。面倒臭い。面白くない。所詮くその役にも立ってねえ。

 

 

 

そ、所詮やる気しないんですね。面白くない。

 

 

 

青山学院の原監督とか、明るいじゃないですか。

根性論、精神論ばっかに傾くのはもう古い。なんて。

日本人お得意の精神論をすべて否定するつもりはないけれど、そういうの、明るいし何せ何だか現代的じゃないですか。

 

やりたくてやるのに、苦しんでばっかで何が楽しいんだよ。

ってわたしが言うと死ねばいいのにってくらい雑になっちゃうんですけど、原監督はそんなことをもっとさわやかに理論的に若者向けに仰っていらしたはずなんですね。

馬鹿なわたしの誤解ならすんません。

受け手なんか馬鹿ばっかってこの前言ったばっかじゃんかよ気にすんな。

 

やってるわたしがつまんなくて、他の誰が楽しいんだよと。

そうそうわたしもそう思ってんの、って今日のそんな記事。

 

SNSは苦手なんですけど、その考え方には割りと頷けるんです個人的には、ってことなんですけど。

コンサルとか、マーケターとか、ピンきりですもん好きにしなよね所詮決めるのはあんた次第、ってことで割りと信頼してるブログをご紹介。

 

やりたいようにやらなくちゃ、と毎日思ってますし、もちろんそれは楽しくあるべき、とさえ。

そうでなくちゃ、苦労しながら勝手に生きてる生かしてもらってる意味ないじゃんか、って近頃いよいよ思ったりするわけです。

 

 

変わりゆくものなのか、変わりたがらない大衆こそを操るのか、つまりそれは所詮仕組みってことなんでしょうけど、よく考えたらわたしみたいのってそういう感じがもっとも嫌いな性分でした、ってそんなおハナシでした。アホかと。

 

 

好き勝手やってみて、それが好き勝手でしかなかったのなら、さっさとやめようと。

そんな毎日、意味わかんないでしょ。

つまり、大衆と、例えば勝手に生きてるつもりらしいことって、皮肉なことに精神のほとんど根っこの部分から分断されてるのかもしれないまったくの別感覚だと思うんですね。

どうせわかりあえるはずもねえや、と。

実に残念ですけど。

 

 

でも、ちょっとはがんばってるつもりなんですよ、近頃。

だんだん意地になってきてる気すら。

うーむ、タチ悪いさ。

 

 

そんな片一方を、やりたいように真剣にやっていこうと、近頃つくづく思うワケです。

全然正しくないって?

わかってるっつの。

 

そうしたがる自分をそうしてやんないと、棺に入る直前に ”やっぱアレ、やっときゃよかった" なんて思っちゃうとかアホなことになりそうだ、ってそんな乱暴さもいいじゃない、ってこと。

 

わたしがいなくてもアナタはちっとも困らない。

わかってますってば、だからこそ真剣に取り組みたいやりたいお仕事。

楽しいお仕事。

 

 

毎日大変そりゃそうだ。

だからってそんな全てが自分のせいだなんて、それも何だか図々しいハナシでしょ。

自惚れたハナシでしょ。

世間は勝手に回ってんでしょ。

変わりたいのか、変わりたくないのか、そんなこともわかんないでさ。考えないでさ。

わたし一人が何だっつんだ。

 

 

明日、無差別殺人犯に刺されて死ぬかも。

それが自分のせいなんかじゃ全然ない毎日を生きてる。そんな前向き。

一人で頑張ってた女の子が、馬鹿に一方的に刺されちゃうんでしょ。

そんなことを例えば運命とか悲劇だとかって、皮肉でも言えちゃう理由を見つけたがるばっかなら、そんなくそみたいな冷静ばっか思いつきたいなら、明日どころか今日だって馬鹿っぽくやってらんない。

 

毎日に向かう個人っていう威力やら価値とかって何だ。

うるせえ青臭え黙ってろ。

 

 

今日も自分の人生ばっかで精一杯なんだっつの青臭え。

 

 

 

いつもありがとうございます。

こんなわたしですが、だからこそそんなアナタこそよろしく。

 

 

さよなら五月。